闘雞神社
闘雞神社本殿 
 
闘雞神社
 
 闘雞神社は口熊野を代表する神社で、通称〝権現さん″と呼ばれ、その社殿の美しさで有名す。社伝によれば5世紀、熊野本宮より勧請されたといいます。古くは新熊野鶏合権現と呼ばれていました。田辺に住んだ熊野別当湛増が源平合戦に際して、紅白の鶏七羽を闘わせたという故事でも有名です。
 熊楠の妻松枝はこの社の宮司田村宗造の四女で、熊楠は来住の始めからこの宮の背後の山を研究の場としました。
 例大祭は〝田辺祭″(昭和44年6月県指定)と呼ばれ、毎年7月24、5日に行われ、暁まつり・神輿渡御・流鏑馬・願馬曳きなどの神事が行われます。また、旧田辺城下の各町内からお笠が出され、夜おそくまで賑わいます。

 

田辺祭
 
   
   
  南方二書での言及
 当田辺の闘鶏権現のクラガリ山の神林またなかなかのものにて、当県で平地にはちょっと見られぬ密林なり。これも公園公園というて社を見下し、遊宴場を立つるとて樹を枯らし、腐葉土humusの造成を防ぎしゆえ、年々枯れ行くを伐りちらし、この山、古来有名の冬虫夏草(西インドのguepe vegetaleと等しく、図のごとき大冬虫夏草を生ず。この他ミミズ、ムカデ等にも、それぞれ別種の冬虫夏草を生ず)は、今日はなはだ少なくなれり。ルリトラノオ、ミヤマウズラ、ツルコウジ抔海辺の低地に珍しく、この上にありしが、みな絶滅す。ハマクワガタ、牧野氏説に希種の由、これも少なくなりゆく。三百年ばかりの老樟はなはだ健康なるがあり、・・・枝条蓊鬱として、その樹株の下より清水断えず下り神池に注ぐ。実にクラガリ山の名に背かず。官有として置きしを払い下げて伐らんとするものあり(その者は小生の妻の一族)。よって前社司(拙妻の亡父)神林枯滅して神威を損ぜんことを憂い、いかなる事情の下にも伐木せぬ条件で神林を払い下げ、社有とせしなり。
 しかるに、小生の鼠二年前死亡後の神主、たちまち世話人と申し合わせ、右の健壮の大樟を枯損木と称し、きり尽し根まで掘り売り、神泉全く滅す。小生これを知らず、珍しき健壮大樟の写真とり保勝会長徳川候へ呈せんと六月末に行きしに、右の次第ゆえ大いに呆れ、郡役所へかけあうに、枝の一部に枯損ありしゆえ枯損木なりという。それは鳥が巣を作りたるなり。しかして、この樹を堀り取るとて、わざと乱暴に四方へあてちらし、他のマキ、冬青等の樹十三本を損傷せしむ。これまた枯損木を作り伐らんためなり。よって甚く抗議せしに、郡長止むを得ず、件の社の社務所にて世話人を集め語る。その最中に発頭人(前郡長たりし人)口より涎出で動くこと能わず、戸板にのせ宅へ帰り、五日ばかり樟のことのみ言いちらし狂死す。ほかに今二本の大樟を枯損木と称し、すでに伐採の許可を得たるも、小生見るに少しも枯損の趣きなし、これは残る。また県庁への書上には、この社の林に樟木二十五本あり、とあり。しかるに小生みずから行き見るに、右の三本しかなし。すべて地方今日のこと虚偽のみ行なわるることかくのごとし。
 
   
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